■ T美の“路上のカリスマ”、いざわさんの話
こんにちは、ヤナーリです。
今回からまた元の路線の美大時代の話に戻りたいと思います。
さて当時、同級生にいざわさんという名のビタイくんがいました。
本名ではありません。
前に同級生のビタイくん連中と学食にいるとき、突然彼が、
「おうお前らってケンカしたことあるっちゃか?
俺はよぉ、高校のとき学校の校門でよぉ、学校No.1の不良にガン付けられたことがあってよぉ、そん時ブン殴って負かしてやったことがあったっとよぉ!!
そのケンカん時、顔を殴られた後遺症で片目の下側がちょいと見えねぇんだけどよぉ、まあ負けられないケンカだったから仕方ねっちゃが!!」
…という武勇伝を(誰も聞いてないのに)むっちゃ九州弁なまりで言い出し、それを聞いたH君が、「すげえ~~ホーリーランドのいざわまさき(当時ドラマにもなってた格闘漫画のキャラ)みたいでかっけぇ^^」と言ったときから、彼の名がそれになりました。
それ以降、とりあえずみんな彼を「T美の“路上のカリスマ”」などと呼んで敬意を表すことにしました。
…でこのカリスマも、まぁ色々と妙な特徴のある人で…とにかく感情の起伏が激しくて、先の読めないとこがあるやつでした。
例えば彼は思い悩むことがあると、皆で一緒に歩いてる時でも、うつむいて一人で早足で歩いて先へ先へと行ってしまう癖があります。
「おい待てよ」と呼び止めるとようやく足を止めるのですが(止めない場合もある)、気づくとまた一人で早足で歩いて先に行ってしまう…その繰り返しです。学校No.1の不良を殴って打ち負かした強豪の割りには、すごく繊細なとこがある人なんです。
また彼の作る作品にも妙な特徴があって、例えば彼がハマっているゲームや漫画があると、それに出てくるキャラやアイテムをモチーフとした絵をとにかく画面の端から端まで一杯に、顕微鏡でのぞき込んで描いたかのような細かさでびっちり描き込んでいくという、、、
偏執病か何かの類なのか?と疑ってしまうような、そんな作風でした。
もう一つ印象的だったのが、彼は「ベンゼン」と呼ばれる有機化合物の化学式に異様なまでの関心を寄せており、ある日、彼が唐突に「以下にこのベンゼンという化合物の化学式が優れているか」というレクチャーを何十分にもかけてし出して来た時は…
この人やっぱり何かの病気だ
と思わず私は確信してしまいました(失礼
すると今度は自分独自が産み出した「ベンゼンロボ」と呼ばれる架空の戦闘ロボが剣や盾などを持って武装している絵を、また画面一杯に描きだしたりと…とことんゴーイングマイウェイなやつでした
ある日、そんなカリスマが突然、「M大沢(T美の最寄り駅から数駅離れたとこ)までチャリで行きたいっちゃがっ」と、全く手入れのしてないゲジゲジした眉毛をキクキク動かしながら言い出してきました。
…なぜゆえ突然?
皆の頭上にクェスチョンマークが浮かびあがります。理由を聞くと、
「分からん、とにかくチャリに乗ってそこまで行きたい気分っとよ~~」
と目をキラキラ輝かせて、まるで夏休みにチャリに乗って日本一周したいとか言い出す中坊みたいなノリで、そんなことを言い出します。
まぁたまには気分転換に遠出してメシでも食うのもいいか…といったノリで、皆でいざわさんに合わせてM大沢までチャリで行くこととなりました。
さてM大沢に着くころにはすっかり日も暮れかけてて、長時間チャリを漕いだこともありみんなお腹がペコペコです。
じゃどっかでメシでも食おっかという話になった時、突然いざわさんが、
「食べたくない…」
とうつむきながら呟きはじめました。
…?
どうした?腹でも痛いのか?と他の人が聞いても、「知らん。食べたくないものは食べたくないっちゃ…」等と不機嫌そうに答えます。
???
全くもって彼の行動原理がよく分かりません。
そして彼の意味プー言動にとうとう仲間の一人がキレて、「なんなんだよお前!M大沢でメシ食うって約束だったじゃねぇか!意味わかんねぇよ!」と怒り出しました。
そしたらいざわさん、
「マジむかつくっちゃが!!マジむかつくっちゃが!!マジむかつくっちゃが!!」
と、何かの逆鱗に触れたらしく、唐突にマジむかつくっちゃがを連呼し、ものすごい大癇癪をM大沢の中心でギャーと起こしはじめました。
もうこうなると誰も彼を止められません。
ひとまず皆でガ〇トに入って夕ご飯を食べることになりました。
いざわさんはメシの間ずーっとうつむき、眉間に皺を寄せてこれ以上にない程マズそう表情でご飯を食べています。と突然ぽつりと、「死にたくなってきた」などと言い出してきました。
「死にたくなってきた」
「死にたくなってきた」
「死にたくなってきた」
壊れたラジオか何かのように、「死にたくなってきた」のフレーズを繰り返してきます。気まずい雰囲気となり、もう誰も一言も喋りません。
私はと言えば、もう一刻も早くこの生き地獄から抜け出て帰りたい…ただそれだけの思いしかありませんでした。今まで生きてきた中で、あんなにマズいガ〇トの和風ハンバーク定食は食べたことはなかったです。おしまい
今回もお読み頂き、ありがとうございました。
■ <番外編> ヤナーリ的おすすめ映画8選
こんにちは、ヤナーリです。
ここ最近暗い話が続いたので、今回はちょっと話題を変えて、唐突だけど私が思春期真っ盛りの10代時に見た「おすすめ映画8選」の話をしたいと思います◎
はい完全なる自己満回です。
それではどうぞよろしく♥
続きを読む■ 入学早々、大学内で暴れて金属バットを振り回した話
こんにちは、ヤナーリです。
さて、地獄のような浪人生活が終わり、晴れてT美術大学に入学した自分は本当に天にも昇る気持ちで一杯でした。
「ようやく…ようやくここから自分の青春が始まっていくんだ!!」
喜びと期待で胸が一杯になった瞬間です。
十代は一貫して問題のある私生活を送った自分は、完ッ全に人との距離感が分からなくなっていましたが、なんとか頑張って同級生とコミュニケーションを取ろうと努力をしました。
それに、ここで頑張らなかったらいよいよ自分はお終いだ…という切実な思いも同時にありましたので、とにかく必死になりました。
で結論からいえば…割とうまくいきました。
それは自分に限らず、みんな一様に不器用で、心に何かしらの闇を抱えているようなオカシな人ばっかだったからです。特に男連中。いわゆる自分がプロローグの部分で触れた「ビダイくん」というやつですね。
でも一方で変に突き抜けて明るいとこもあり(というよりただの躁状態)、例えばイヤホンつけて大人しく絵を描いてたと思ったら、いきなり立ちあがって大声で歌いだしたりするやつとかいたりして…オモシロカッタデス。笑
そんな変人たちに囲まれ、自分は随分と久しい「居心地の良さ」を感じました。
ただ一つ…お酒の問題がありました。
今までの晴れることのなかったフラストレーションが、溜まりに溜まりまくっていたのでしょうか。
自分は大学に入って酒をあおるなり、もう泥酔しまくって、色々ととんでもないことをやらかしました。
放送禁止用語を大声で叫びちらしたり。
「これ飲んで落ち着きなよ」と渡された水のペットボトルで、またギャーギャー喚き散らして机や壁をガンガン殴りだしたり。
いきなりそこらで立ちションしだしたり。
かと思いきや、唐突に同級生の女の子の肩や腕をさわりだしたり(!!!!!!!!!!!!!!)
で、当然ブチ切れられました。(当たり前だ)
学校内でのちょっとした飲み会だったのですが、酔いが冷めたところで、激怒した女子連中に外に連れ出され、それはもう…かつてない程の、ものすごい剣幕と勢いで怒られました。
入学した当初、自分は良好な関係を築くべく、必死に周りと合わせる努力を重ねて来たのですが、ここに来てそれが全部パアになった瞬間でした。
せっかくこれからは頑張ろうと思っていた矢先、こんなことになってしまって。。。いや誰よりセクハラされた女の子が一番迷惑こうむったのは分かってるんですけどね。笑←笑じゃねぇよ
でも当時の自分は、他人の気持ちを汲み取ったり察してあげたりするほどの度量などは、微塵も持ち合わせておりませんでした。。
怒られに怒られたあと、一人で外に座っていたら、なぜだか涙がボロボロ出てきました。
こんなにも自分という人間を「なんて哀れでバカなやつだ…」と思った瞬間もなかったです。
もう全部おわり。全部パァ。
そこでふっ…と隣を見てみると、そこには何故か金属バットが立てかけてありました。
そう言えば同級生の誰かが「こんなもんがあるぜ~◎」とかゆって、笑いながらどっかから持ってきたものだったと思います。
で、何を思ったのか、自分はそれを手に取るなり、近くにあったパイプ椅子を滅多叩きにしだしました。
ウウゥウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
ガァン!!!ガァン!!!ガァン!!!ドガァァンッ!!!
けたたましい騒音が、辺り一面に鳴り響きました。
ひとしきりパイプ椅子相手に暴行を働いたあと、ハッと気付いて後ろを見ると、同級生の皆がポカン…と呆気に取られてこっちを見ていることに気づきました。
「あ、終わった」
やってしまった、という思いと絶望感が胸の内に去来しました。
慌ててそのままバットを放り投げ、何かから逃げるように走って逃げましたが、何故かみんな自分を追っかけてくる。
や、やめろッ!おれに連いてくるんじゃない!!!
走って走って逃げるのに、何故かみんな追っかけてくる。大学内の絵画棟という建物をバックに、ぐるぐるぐるぐる追っかけっこしました。
で、その内にとうとう取っ捕まったぼく。そして同級生にこうなだめられました。
「ま、まずは落ち着こう…そして今日のところは帰ろっか。やなあり君」
こうして一騒動は終わりました。
後日、学校に行ったら、お酒の飲み方にはちょっと注意されたけど、とりあえず昨晩のことはなかったものとして皆みてくれました。
皆さんの優しさに…そして自分の人間としての至らなさに、「ごめんなさい。」ただその一言だけしか言えませんでした。反省してます。
今回もお読み頂き、ありがとうございました。
※余談ですが、現在自分が通っている障害者訓練所で『三匹のアヒルが池で泳いでいる絵を描いて他人と見せ合う』という謎課題が先日出たのがなんか印象的だったので、今回それをそのまま使わせて頂きました。
■ 美大に入るまで③ ~浪人時代、チック症になった話~
↑浪人時代の絵。確かりんごを渡されて、「これを元に自由描画しなさい」と言われたときにこんな絵を描いたような。りんごどこいった…?
こんにちは、ヤナーリです。
今回も前回よりの話の続きです。さて高三のとき美大受験もするにはしましたが、まぁ見事に全部落ちて、浪人することが確定しました。
高校はついに誰とも友達にならず…いやそれ所か、大半のクラスメイトの名前すらロクに覚えないまま、卒業しました。
学校から出る際、ふっ…ともう二度と足を踏み入れることのない校舎を見渡したら、なんだか言いようにない、「もっとちゃんとしておけば良かった…」という切ない思いで胸が一杯になりました。
卒業アルバムは試しに中身をピラッと開いたら、いきなりクラスの中で一番きらいなラグビー部のやつがニヤッと笑っている写真が目に飛び込んできて、ゲロが出そうになりました。
アルバムは家に帰るなり速攻ゴミ箱に突っ込んでやりましたね。ざまーみろッ!(…
高校時代は悲惨そのものでしたが、浪人時代は更にそれを上回る酷さでした。
休み時間など、ずっと一人で壁に向かってデスメタルとかMDで聞いてました。
当然、絵の方も上手くはいってません。デッサンの順位発表があると、大体決まってビリっけつ付近。家に帰ると親には、「こんな暗い表情したやつが家にいるのがガマンならない」という理由で、よく金切り声をあげられたりしていました。
…そんな生活を送ってる中、自分の中である「異変」が起きました。それは電車ん中でラヴクラフト全集でも読もうとした時です。
あれ、、、全然本が読めない?!?
これにはびっくりしました。
本当に本が読めなくなってしまったのです。
これはうまく説明しづらいのですが、「不安」で頭が一杯になって、何度も何度も同じ行の文章を読み返さないと気が済まず、一向に先を読むことができなくなってしまって。。。まぁ典型的な強迫神経症状ですね。
またそれと同時期に軽い「チック」が出て、無意識の内に突然ウォッ!とかヒャアぁッとか声が出るようになりました。
予備校でも授業中に突然ゥワオッっとか声が出て、皆にギョッとびっくりして見られた途端、「しまった!」となるんだけど…これはもう我慢できないというか、自然発作みたいなものなんです。
(他にも、人と喋ってるときに財布からカードを延々抜き差ししてないと気持ちが落ち着かないみたいな現象もありました)
まぁそんなこんなもあって、ますます自分は予備校内で孤立していきました。
またある石膏デッサンの時、ついには授業中に過呼吸症状が出て、医務室に運ばれたりしたこともありました。
もう予備校にいるのが嫌すぎて、でももう外に出てサボる気力すらなかった自分は、予備校内の薄暗いトイレに8時間くらいずっと籠っていたこともありました。
スマホなんて便利な道具、当時はなかったのでただひたすらトイレの中で地面を見るか…天井を見るかをして過ごしていました。今までの人生の中で、一番長く感じた8時間だったかもしれません。
もう完全に頭がおかしくなっていました(今もおかしいけど)
で結論から言えば、一浪したら大学に受かりました。
良かったと思います、本当。
(ただ当時、在籍していた日本画科ではもう講師にもサジを投げられ、「もうおまえ日本画では絶望的だから他行け」と言われて、そのままよその科に行きました)
ただ本が読めない症候群やチックはあれから大分おさまったとはいえ、実は今でも若干引きずっています。完治しないんです、あの時以来から。
…今回はなんか暗い話になってしまったので、次からは楽しい話をするようにします。次回は大学に入るなり、いきなり同級生が見てる前で暴れて金属バットを振り回した話でもしたいと思います。
今回もお読み頂き、ありがとうございました。
■ 美大に入るまで② ~高校時代、家で動ナビばっか見ていた時の話~
↑高校生時代、とあるお絵描き掲示板に投稿した絵。
一体当時の自分は何を考えていたのだろうか…。
こんにちは、ヤナーリです。
前回の話の続きで、今回は自分の高校時代のことを話したいと思います。
さて自分の通ってた学校は中高一貫だったので、そのままのノリで同高校へと進学しました。暴力的なイジメはひとまずおさまったもの、トラウマを抱えた自分は誰とも打ち解け合うことができず、高校時代は孤立していました。
また夜中までお絵描きやゲーム、本や映画を見ていたこともあって、学校ではいつもクラスの隅っこで寝ていました。あと何故かメタルTシャツを常用していましたあいたたたたたたたたがhpgsdpがfj(メタル好きなんだよねぇ
高校ではクラスにいるのが余りに嫌だったので、よく授業をさぼっては近所の神社をウロつきまわって鳩に話しかける日が続いていました。
そんな毎日が続く中、ある「焦り」のようなものが、自らの胸の内からこみ上げてきました。
「このままではまずい。なんか生きがいを持たないと…」
「でも勉強もスポーツもまるで興味ないし…でも絵とか漫画は好きだよなあ」
「それにクラスでオラついてるジョックス(いわゆる団体競技部所属のチャラ男とかオラオラ系の人)なんかにコケにされたくない。おれはもっとすごいやつなんだ…」
「おれがもっとすごいやつだということを皆に証明するためにはどうしたらいいだろう…そうだ美大だ。おれはあーてぃすとになるんだ!!」
そんなビダイくん特有の超絶ルサンチマン全開な衝動で、美大なんかを目指すことにいたしました。…そんな理由?!ええそんな理由です( ´3`)ムチュッ
そうしてまず自分は美術の塾に通うことを始めました。そして初めて石膏デッサンなどして分かったこと。
自分、超絶絵が下手。
いや、本当にこれがものすっごい下手糞なんです。びっくりするくらい。
「な、なんかの間違いだろ…」
頭から血の気が引いていく感覚を覚えつつ、また再度デッサンにチャレンジしてみましたが、間違いではありませんでした。本当に、もう何度やってもちゃんと描くことができなくて…。それに比べ、他の塾生のデッサンのもう上手いこと上手いこと…
で結局は1,2週間経たずとして、もう塾に行くのが嫌になってしまいました。今度は塾もサボって抜け出しがちになり、付近の街を徘徊しては、シーチキンおにぎりなどを薄暗い雑居ビルの中で食べる毎日が続きました。
また人間関係を構築するのが極度に苦手だった自分は、塾内でも誰とも打ち解け合うことができず、ついにはそこでも寝たふりをして過ごす始末でした。
そんな毎日を送る中、自分は自我を保つため…というよりただのひまつぶしで、己の中に「もう一人の自分」を作って、ひたすら自分自身と会話をすることにしていました。
「学校糞つまんねぇなあ」
「うんダイナマイトで校舎ごと爆破してやりたいよね」
「塾もつらいしなあ」
「石膏なんて見たくもないよね正直…」
「あ、昨日見たあの映画、面白かったよねぇ」
「いやでもあの映画はあのラストがちょっとさあ」
「そう言えば今日のずりねたはなんにしよう」
「また動画ファ〇ルナ〇ゲーターでも使えばいいんじゃないかなあ」
そんな話を、延々自分自身としていました。
ひたすら毎日鬱屈していて、こんな期間が丸三年も続きました。メタルと、ゲームと映画と、動ナビだけが心の拠り所でした。おしまい
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
■ 美大に入るまで① ~中坊のころ江頭のマネをして壮絶ないじめに合った話~
こんにちは、ヤナーリです。
今回は個人的な話になりますが、そもそも自分がなぜゆえ美大などという特異な場所へ行くこととなったのか、そのきっかけについて話します。
話は子供時代まで遡ります。
唐突ですが自分は中学時代、ものすっごいイジメに合ってました。ちょっと思い出して書きたくもないくらい嫌な思い出で…今でも若干トラウマになっています。
いじめられることになった原因?
思うに、入学最初のクラスでの自己紹介の仕方がいけなかったんだと思います。
…当時、私は江頭2:50が大好きで、めちゃイケで江頭が出てくるたんびにもう大興奮して、エガちゃんの真似ばっかしてました。
ええ親はさぞかし頭を抱えていたことかと思います。
小学生の頃はみんな子供だったこともあって、エガちゃんの真似とかしても普通にみんな笑ってくれてました。友達みんなでよくセクシーコマンドー合戦とか、エッエビの脱皮っ!!とかゆって腰をカクカクして遊んだりしていましたねぇ~(やな小学生
またひたすら落ち着きのない子だったので、先生や親にはよく目が回るほどブン殴られたりしてたけど、でも友達は一杯いたので何だかんだいって一番楽しい時代だったかもしれません。
ところが中坊くらいの年頃になると、また事情は違ってくる。
自分は受験して外部の中学に入りました。そこで始めてのクラスの自己紹介の場で、突然こともあろうに、小学生からのクセで思いっきり江頭のマネをし出しました。お前らに一言物申す~!へっへびの脱皮ィッ!!、、、みたいな(それ江頭ちゃう)
で、当然「なんだこいつは?!」という反応がクラス全体から返ってきて…
あの時のクラスの空気が凍り付いたシュンカンは、今でもよーく覚えてます。あああああああでょpがおはるh;
で入った初日からクラスメイトにぶん殴られたり、気持ち悪いから近寄ってこないで!!と女の子に叫ばれたりしました。
そしてあっという間にその話は全校中にと広がり…それからの3年間は、地獄そのものでした。廊下を歩いてるだけで「おい江頭」と言われ、突然ほうきで足元を殴られてひどいあざになったり、食堂でお茶をかけられたり食べ物を投げつけられる日々が続きました。
江頭(とM張)のモノマネ一つでまさかこんなことになるとは、夢にも思わなかったです。
江頭ちくしょうこのやろ~~~(ひどい責任転換
…うそ。エガちゃん今も好きです。それに仮にエガちゃんのマネなんかしなくても、いじめられてたと思うけどね自分の場合。
…しかしまじめな話、この時の体験が元で、なんとなくこの頃から「自分は普通の世界じゃやっていけないのかもしれない…」という、漠然とした思いも抱えるようになりました。
今になり振り返ってみると、その時感じた直感は、決して間違ったものではなかったと思います。
そしてある意味ではそんな直感が元となり、変人だらけ…もとい社会不適合者だらけの美大という場所へと突き進んでいく原動力が、自己の中で着々と根付いていったのだと思います。おしまい
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
※ 余談ですが、さいきん栗原類がテレビで江頭のコスプレをして暴れまわってるのを見た際、なんかやたらデジャヴを感じました。おれもあんなイギリスハーフのイケメンだったら良かったんだけどねぇ~
■ ブログをはじめようと思ったきっかけ ~リアルシャイニングおじさんの話~
こんにちは、ヤナーリです。
今回は、自分がこのブログを始めよ~かなと思った「あるきっかけ」のことを話そうと思います。
前回でも言いましたが私は現在、自身の発達障害が発覚してから以後、就労移行支援事業所(障害者のための就労支援施設)に通って訓練を受けています。
先日、ある事業所で初めての就労体験を受けていた時のことでした。
午後、お昼休みが終わった後で、職員の方が社会資源がどうの…みたいな話をホワイトボードに描いて講義をしてくれていました。その時とつぜん、
ガッターン!!!!!!!!!
と、もの凄い、けたたましい音が教室の外から聞こえてきました。
え。
なに?
突然の騒音にびっくりして目を白黒させてると、次にこんな奇声…と言うよりヘビメタ大シャウトが、教室外より鳴り響いて聞こえてきました。
『ビエッ!ビエエエエエエエエエエェェ!ッッビエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェェェッッ!ッ!!!!!!!!!!!!!!ビエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェェェーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!』
そんな「ビエエエエ」という印象的すぎる金切り声。
そしてドガンッ!!!ドガンッ!!!ドガンッ!!!と、教室全体がグラグラ揺れるほどの勢いで、外側から教室の壁を蹴ッ飛ばす音が聞こえてきました。
…
こいツはやばい。
ほんとに軽く生命の危機を感じた瞬間とでも言いますか、気分はまるでホラー映画「シャイニング」で、発狂したジャックニコルソンに斧でもって襲われる奥さんになった気分です。
暴れてるのは恐らくここの訓練生であろうことは予想できたのですが、しかし具体的に誰が何故ゆえそうしてるのかまるで分からず、心の奥底から恐怖を感じました。
「ちょっっ、ちょっと授業を中断しますので休憩を取っててください!!」
慌てふためる職員さん。
その間にも、絶えず外から聞こえるキ〇〇〇君の悲鳴と、ガシャーンパリーンと派手に物をぶっ壊す音。
自分も心臓が恐ろしいほどの勢いでバクバク言いだし、不安のあまり咳がとまらなくなり手がぶるぶる震えてきました。もし外で暴れてる人が教室の中まで入ってきたら…と想像したら、本当に背筋がゾッとしました。
そんな状態が30分くらい続いた後、Kの人がやってきて☆☆☆イ君はどこぞにと連れていかれました。
後で見たら、恐らく最初に止めに入ったと思われる男性職員さんの顔にひどい引っ搔き傷があって、なんていうか…大変だなあと同情を禁じ得なかったです。
ちなみに後日聞いたとこ、その暴れた人はやっぱりそこの訓練生だったみたいで、入所7か月目で突然豹変してそうなったとのことでした(怖ッ
っていうか体験初日の日に、その乱痴気騒ぎとたまたまバッティングしてしまう自分もどうなんでしょうか…
尚そのリアルシャイニングおじさんは、それっきり訓練所はクビになり、どっかの病院に強制入院する運びとなりましたとさ。ちゃんちゃん
…という一連の話を知り合いにしたら、「なにそれオモロいwぜひ体験記みたいにして漫画とかブログにしなよwww」という反応が返ってきて、こkここのやろうッッひとごとだと思ってるだろオイッッ……でも確かにブログにしたらおもろいかもな(お)と思い、今こうして記事を書いてる訳です。
ビダイくんの話については、以前からやろうと思ってたので(←行動するまでが遅い)、そういう意味では確かに良いきっかけ?になったかなと思います。
なのであの日、たまたまあのリアルシャイニングおじさんと訓練所でバッティングしたことは何かの因果というか運命だと思いたいですね。どんな因果やねん。おしまい
…さて次回は、自分が中学生のころ江頭2:50のモノマネをして、壮絶ないじめに合った話をしたいと思います( ´艸`)
美大関係ねぇじゃんとツッコまれそうだけど、これはまぁ…色々とはずせない話なので!
という訳で今回もお読み頂き、どうもありがとうございました。ビエエエ
※ 注:事業所の訓練生みんながそんな危ない人の集まりな訳じゃないです。むしろとても控え目で大人しい人の方が多いです。 ※