■ 見習い背景絵師になった話
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
さて去年はイロイロと紆余曲折あって、見習い背景絵師となりました。
めしにしましょうなど読みながら原稿に追われる毎日です。
今度インスタでも開設し、今まで描いた背景絵をアップしたいと思います。
最近思うこと。
70,80代、病気・事故死等の可能性もふまえて50,60代まで生きるとしたら、自分は人生の大体半分あたりに差し掛かった感があります。
そしてその「残り半分」と言うのは意外なほど短いと予想がつく。
映画にしてもなんにしても、上映時間が半分過ぎると残り半分なんて割かしあっという間なもんです。
また子供の時と成人以降の時間の流れを意識すれば、もう閃光の如く過ぎ去っていくだろうなと思います。
そして今までの経験から言って…
余り他人や社会といったものに変に理想を持って期待し過ぎると、9割方裏切られることも肝に銘じておきたい。
自己の幸せを大切にして、ミニマムに毎日を生きていきたいね。
では。
■ プロの世界は甘くない?"T"殺人美術工房労働記Ⅱ ~ おじさんがパワーマックを破壊した日
前回の話の続きです。
前回では女の子が靴でメッタ叩きにされる話をしましたが、今回はそれ以上の大惨事が起きました。
それはある日の昼休憩時のことでした。
ああやっとお昼かあと背を伸ばしキラートマトおじさん(社長)がいる事務室の前を通りかかると、早速中からキラトマ社長のドス黒いヘイトに満ちた声が聞こえてきました。
…あのさ、なぁんで入稿したデータが出てないのかなあ。
ねぇ。あれ今日までだったよね。
…いやそんなの後でいいからさ。
入稿したデータを出せよ。
ほら早く。早く出せよ。早く出せってば。
ヤバい今日こいつキレる。
もう既に危険を察知した私は、近くのロッカー室にさっと逃げました。
その途端、例によって例によるキラトマ大噴火が始まりました。
入稿したデータを出せ!!
入稿したデータを出せ!!
入稿したデータを出せ!!
入k、入稿したデーゴホッゴホッ、入稿したデータをだ出せ!!
出せっつってっんだよオォ!!!お前ら!!!
うわあ。
又かよ…しかも途中むせてるし。もう慣れっこだよこんなん。
と言いたい所ですが、今回の大ヒスはいつものに比べ1.5倍はひどいものでした。
その内、入稿したデータを出せ入稿したデータを出せとガシャーンパリーンとゴミ箱を蹴飛ばしたり、絵具棚をひっくり返して破壊する音が聞こえてきました。
ヤバいよヤバいよ…
内心超ビビりました。
と、その時です。
ドグワチャアッッっ
ナニッ。
非常にけたたましい音が。
…何?何をした?
同じくロッカー室に避難してた女性の社員が大慌てで外に出て、掃除機で何か散乱したものを吸う音が聞こえます。
「おい!誰がお前にそんなことしろって言った!O月(仮名)にやらせろぉ!」
「O月てめえ!
末代までお前のこと呪ってやる!!(←ほんとにこんなこと言った)
ウガアアアアア!!!」
キラトマおじさん、O月さんの足めがけてむっちゃローキック喰らわせながら怒鳴り散らします(ちらっと覗いてみた)
悪夢だ。
お願いカミサマ、、、これが夢なら早く醒めて。
後になって社員さんに聞きました。
あれ何壊したの?と。
社員さんは心底ウンザリした顔で、『パソコンだよ。それも〇十万もする。』と答えました。
当時、キラトマおじさんは3DCGも駆使した作品を作ってたので(大コケして話題にもならず大赤字になったみたいですが)、高性能なパソコンが必要だったのです。
いやそれ壊したらダメだろ。
ちなみに今回、もうこれで3台目らしいです。
そして壊したら壊したで、どこからともなく新品のパソコンがいきなり入荷してくるらしい。
やっぱり売れてる人はやること違いますねぇ。
そしてその日の午後。
私は大人しく仕事に従事していました。
…しかしある時、視線を感じてハッと後ろを振り向いたら、
うわぁ
飛び上がりそうになりました。
キラトマおじさんが、数m離れた所に立って工房を見渡していたのです。
しかし…何か様子が変でした。
目が虚ろで、髪はボサボサになっており…まるで落ち武者か亡霊の類に見えました。
後で聞いた話、あのとき怒鳴りまくったせいで一時的に片耳が聞こえなくなった(!)らしいのです。
工房の至る所には、万一キラトマおじさんが倒れた場合に連絡する先の貼り紙が張り付けてありました。
キラトマおじさんは死にそうになりながら、まるで亡者のようにヨタヨタ工房内を歩き回ってます。でも誰も無視して話しかけません。
そりゃそうだ。下手に話しかけたりでもしたら…ねぇ。
『なんか可哀想な人だなあ。』
あの時のあの光景、忘れられる訳もありません。
結局、私はその工房は半年近くで辞めてしまいました。
体がついていかなかったのです(精神的にも)
この他にも工房内で色々なことがありました。
ネタにしたくもない、口に出したくもない嫌なことも沢山ありました。
一見華やかしいアート界の裏の面を目の当たりにしてしまった気分です。
あれから〇年もの月日が経ちました。
今、あの工房はどうなっていることだろう。
あの時、あそこで働いてた人達はどうなったことだろう。
多分もう死ぬまで顔を合わすこともないんだろうな。
私は今でも七転八倒しながら毎日を過ごしています。
『あんだけキツい思いしたんだから、これからどんなことあっても楽勝っしょ』と思ってた時期もありましたが、全然そんなことありませんでした。
もう暴力は見るのもされるのも沢山です。
私は静かに余生を送りたい。
それが今の何よりの望みです。
おしまい
■ プロの世界は甘くない?"T"殺人美術工房労働記
ヤナーリです。
最近なんか暗い話ばっかしてんので、気分転換でたまには昔話(美大卒業後、バイトしながら作家活動してた頃)でもしたいと思います。
さてある日、紆余曲折ありながらも私は『とある著名な』アーティストの元で働くことになりました。
さすがに名前は公にできないので、「キラートマトおじさん」ことキラトマおじさんとここでは呼びたいと思います(何故キラートマトなのかは後述します。又トマトのイニシャルから取ってT工房と呼びたいと思います)
尚、このブログは「基本的には事実を元にしたフィクション」で成り立っています。
ここで働くことになった経過については良ければ下記をご覧くださいまし。
『さぁ今日からあのキラトマおじさん御代の元で働くぞ!』
勤務初日、私は活きこんで片道2時間もの時間をかけ、キラトマおじさんの工房へと向かいました。
胸をワクワクさせ、これよりの仕事に意気込む私。
…だがしかし、それは早速の朝礼時のことでした。
???
何か様子がおかしい。
私はかいつまんで2点程、その「妙な所」に目がいきました。
1つ目。
そこには大勢の社員・バイトがいたのですが、全員瘦せ細り、絶望的なまでに暗く青ざめた表情をしていました。
皆一様に頬はやつれ、目にはクマができ、顔は青白く血の気が全く感じられない。そんな様相でした。また女性陣の化粧っ気のなさも気になりました。
そして皆…「何か」に対し、とてつもなく怯えている様子でした。
そして2つ目。
噂の(?)キラトマおじさん御代が皆の前で肘を組み、仁王立ちしているのですが、もう思いっきりその額には皺を寄せ…
もう『世の中の何もかもを憎しみきっている』とでも言わんばかりに苛立だっていたのがとても気がかりでした。普段、雑誌やテレビで見せるような(ざっとらしい)ワンパクな表情と余りに差異があり過ぎて、私は困惑しました。
そして唐突にキラトマおじさんによる質疑応答が始まりました。
「おいお前…あれはやったのか?」
やってません。
皆、口に出してそう言います。
当たり前です。
キラトマおじさんは、例えば「等身大の特大キャンバスを一日で100個作れ」とか「10分で1時間分の働き方をしろ(本当にこんなこと言った)」みたいな、できる訳ねぇだろそんなの。という無理難題を押し付けてきます。
従業員はそれでも嫌とは言わず(言えず)キラトマおじさんの命に従い、睡眠時間を極限まで減らして仕事をするのですが…やはり無茶をした所で遂行できるものではありません。
「じゃお前…あれは?」
すみません。
ごめんなさい。
申し訳ございませんでした。
そんな質疑応答が行われる中、キラトマおじさんの顔がどんどん真っ赤な色に染まってゆき、もう今すぐにでもはち切れんばかりに頬が膨れ上がってきました。
それは赤く熟した巨大なトマトのように見えました(元々肥満体質なこともあり)
そして事件が起きました。
「…おいじゃお前。。。あれはやってるんだろうな」
キラトマおじさんが隠し切れない殺意のオーラを醸し出しつつ、一人の女性に切り出しました。
その女性はたじろぎ、「…あっあれってなんですか?」と戸惑い気味に返しました。
と、その時
カァッ!!!!!!!
うわっ。
セキを切ったようにいきなりキラトマおじさんが怒号を発したかと思うと、脱いだ靴を手に持ち、その女性につかつかと歩み寄りました。
ちょっと待て、その靴で何をす
「XX女ぁあああああああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!」
ボッコンボッコンボッコン。
目の前でタコ殴りにされました。
そしてひとしきり殴るに殴った後、世にも恐ろしい女性軽視的な言葉を吐き散らしました。
あまりに差別的な内容なのでここには書けません。
このご時世、あんなことをまだ言う人がいるのかと思うと驚きです。
「しまった入るとこ間違えた。」
と思った時にはもう時は既に遅し。
これから思い出すも苦々しい地獄の日々が始まります。
その翌日、工房に着いたら社員の皆さんが慌てふためいていました。
どうやら重要な立場にある社員の一人がバックレたらしいのです。
朝礼時、他の社員の方からアナウンスがありました。
『ここではよくあることですが、突然人が消えていなくなります。
我々としてもいきなり消息不明になると、電車に飛び込んだり失踪したりしたんじゃないかと不安になるので、辞める時は手紙でも良いので必ず一言お知らせください』
。。。
もう随分と前の話ですが…あれらの強烈な出来事を未だに思い出すことがあります。
余りにそこで起きたことが現実離れしてたので、ひょっとして夢でも見ていたんじゃないかと思うこともある位です。
ところがどっこい夢じゃないんだこれが。
おしまい。気が向いたら続きも書きます
P.S
アタック・オブ・ザ・キラー・トマトと言うZ級映画があるのですが、キラートマトおじさんの元ネタはそれです。
『キラー・トマトが襲ってくる
キラー・トマトが襲ってくる
人に飛び掛かり殴り押し潰し
美味そうに食べ尽くす』
■ 障害者同士の潰し合いの話
ヤナーリです。
最近なんか荒んだ話ばっかしてるので、とりあえず愛猫のひめちゃん(♀)の画像を貼ってお茶を濁すことにします。
さて前に精神病院行きになった話をしましたが、あれからどうなったかと言うと、受診までも少し時間かかりなそうな感じです。。
病院はどこも予約が一杯で、
『いつ予約が取れるか分からない』状況でした。
例えば。かの有名な昭和大学附属烏山病院なんて、予約受付開始時間から300回電話してようやく繋がった(!)との噂も聞いたことがあります。
私が予約したとこも300回程ではありませんでしたが、まぁ何十回もしつこくしつこくコールしてようやく繋がりました。
このご時世、多いんですねやっぱり。
私の行きつけのクリニックもいつもギュウギュウで、予約取ったのに2時間近く待たされることもザラにあります。
需要が供給に追いついていません。
尚、ブログを見た知人に
「なんで精神病院行くことになったの?」
「何があった?」
と聞かれました。
正直な所、自分でもよく分かりません。
なんでかそういう筋書きになってしまった。
…はいでは諸事情により、以下の話は私が個人的に夢で見た話と思って下さい。
さて夢の中で私が勤務してたXX総合病院では、健常者の皆様は一部を除き大体は優しく接してくれました。
しかし、早い話が障害者枠同士での潰し合いになった。
もっと言えば私が障害者枠の先輩にイビられ、私もそれをチクったりしての応酬合戦になった。
何故、どうしてこんなことに?
私は疑問がつきません。
本来なら、障害枠同士こそお互いの苦労や価値観を分かち合えるはずなのに、どうして?
総合病院というのは特殊な超縦社会の世界です。
その上下関係っぷりは自衛隊並に酷な所だと言う人すら言います。
でも障害枠の人は、負い目?があるのか例え先輩になった所で大手を振るって健常雇用者相手にイジワルすることはできません。
だから新人かつ障害枠の私がターゲットになった。
「ふん、特別枠だからって甘えてんじゃねーよ」
「いつまでも定着支援なんかやってんじゃねーよ」
「ADHDの俺の方がまだまともだーよ」
何かにつけてイビられました。
先輩風吹かすやつってどこにもいると思うんだけど、それは健常・障害枠に限らずなんすね。
私は非常に歪んだ『何か』を感じてしまいました。
しかし真の問題はそこではなく。
この件のことを上司に報告したら、、、拒絶反応を示されました。
面倒ごとには関わりたくないんすかね。
ここで又ひと悶着起き、泥沼の戦争が勃発。
地獄だ。
…と言うとてもとても悪い夢を見ました。おわり
私は早く幸せになりたい。
いや、無理に幸せになれなくてもいい。
普通に毎日を過ごせればもうそれでいい。
普通になりたい。
■ みんなくすりのはなしがだいすき
今回はちょっとした小話。
さてさてですが前回書いた就労移行支援事業所の話、余り読まれておりません。
うーんなんでかなあ。がんばって書いたのに
…ただそれとは別に、自分のブログ自体には微々たるものですが毎日一定数のアクセスがあります。
今年なんて今回の記事合わせて4回しか更新してないのに、一体何故。。?
答えは簡単。
みんな過去に書いたコンサータの記事を見に来ているんです。
↑これね。
アクセス解析みると、全体のアクセスの約8割方の人が
「コンサータ 合わない」
とかでぐぐってきてんだよ。
みんなくすりのはなし、だいすきね。
なんでかなあ。
でもおれもキメねことかよく見てるし人のこと言えないね。
はじめてLSD(幻覚剤)をやった時の話【前編】 pic.twitter.com/lmOXXnMltH
— キメねこ (@kime_neko) December 29, 2018
※ あくまでフィクションだと思いましょう
という訳で、
『そっかくすりの話を書けばウケんのか』
と又一つ勉強になりました(?)
しかし気持ちは分かるけど、みんななんでくすりの話ばっか好きなのかなあ。
自分個人の経験談だけど、くすりだけで物事解決したことないんよね。
頑固じじいみたいに説教でいうとるわけやないんです。
※ むしろ超個人的偏見ですが、声高にくすりや精神科を批判する人に限って、アルハラとか酒豪自慢とか酒でやらかした武勇伝(というかただの迷惑行為)とか語りたがるよね。xねばいいのに
後あえてブログには書いてないんだけど、くすり(非合法)のやり過ぎで学校やめちゃった同級生とかやっぱいたんよね。
自分も結局コンサータ、体に合わなくてすぐに止めてしまったし。
ただこの界隈でよく言われる「薬で全てが解決する訳ではないが、手助けになるケースはある」と言うのは良い考えだと思ってます。
処方量をきちんと守って健全なおくすりライフを送りましょう。
おしまい
■ 就労移行支援事業所って実際どう?の話
今回は私が1年1ヶ月通っていた「就労移行支援事業所」のお話をしたいと思います。
はじめに『そもそも就労移行支援事業所って何ぞや?』からですが、率直に言えば「病気や障害(発達・精神・知的・肉体問わず)を持つ人間が行く職業訓練所」です。
『そっ、じゃ俺には関係ないね』
と思ったそこのアナタ。
事業所には、「何十年も普通に働いてたのに、ふとしたきっかけ(リストラ、病気・事故にあった、ブラック会社でこき使われて潰れた等)で仕事を辞め、事業所に入らざるを得なくなった」みたいな人も沢山います。
実際、今の時代どんどん需要が増していってるみたいです。
「もしかしたら自分もいつお世話になるか分からないとこ」くらいに思ってもいいんじゃないでしょか。いやマジで
(私も仮に学生時代にそれを聞いたら、フンと小馬鹿にしてたことでしょう。「事故なんて絶対に起こさない」と思ってる人に限ってやってしまうものです)
話を元に戻します。
でいきなりですが、1年1ヶ月事業所に通い詰めた私が感じた事業所の「問題点」と「長所」をここでまとめてみたいと思います。
まず私が感じた問題点は、
■ ブラック企業礼讃機関である
■ 良くも悪くも「足並み揃えて」なので、病気や障害の種類・重さに関係なく皆ある程度同じような訓練プログラムを組まされる
■ 差別意識丸出しの職員が稀にいる
■ 暴れる訓練生もたまにいる
■ 当然ではあるが、賃金の類は基本出ない(当たり前か)
まず、
■ ブラック企業礼讃機関である
に関してですが、入所してまず
「会社に責任追及するのは悪いことです。全て悪いのは自分自身にあると思いましょう。自分が悪いと思えば、悪い所を自分で治せます。」
「会社は儲かってもお金を内部留保する必要があります、賃金が低いからと言って文句を言うのはお門違いです」等々のことを洗nいや教わられます。
そして授業の最後には万歳拍手カードのようなものを書かされ、『今回のあなたのこういう意見が素晴らしかった!バンザーイ!』みたいなことを強制的に言わされ、皆で拍手する風習があります。
私はそれを横目で眺めながら
「なんだこのくそ茶番」
と思いました。
■ 差別意識丸出しの職員が稀にいる
皆が皆そうとは言いません。
しかし中には、特に福祉以外の一般業種から転職してきた新人講師に多いのですが、入所者に対して明らかに差別意識を持ってると言わざるを得ない講師がいるのも事実です。
ある日、その講師は私に対してもテキト~なデタラメの嘘をついたことがあり、私は激怒しました。そしたら、
「ふ~ん。まぁこういうケースもあるってことかなあ笑、又一つ勉強になりましたー」などという反応が返ってきました。
正直ぶん殴りたかったです。
■ 暴れる訓練生
います、やっぱそういうのも。
基本みんな静かだけど、中にはやっぱり窓ガラスぶち破ろうとしたり(強化ガラスなので無駄)、机とか椅子ひっくり返して猿のように喚き散らして狂ったように暴れるやつが。
又そこまでのレベルでないにしても、ずっと一人で奇声発しながら高速でスマホいじってるやつとか、突然大声で歌を歌い出したりするやつとか。
まぁそういう人達の受け皿でもあるんですけどね。。。履歴書書いてる時にそれはやめて頂きたい
悪口が続いたので長所も書きます。
事業所の長所としては、
■ 基本(余程のことがなければ)訓練生は見捨てない
■ 今まで一度も働いたことがない、何十年も家から出たことがないヒッキーでも対等に扱ってくれる
■ 熟練した面倒見の良い職員もいる
■ 各種福祉機関や施設との繋がりがある
暴力沙汰起こしたとかなら別ですけど、入所してきた訓練生のことは基本見捨てません。(注:ただ事業所にいられるのは原則2年間という決まりはある)
又、就労が決まった後でも継続支援(職場との定期面談など)をして頂けるので、長期間に渡ってサポートをしてくれます。
また訓練生の扱いに慣れた熟練した職員もいて、どんな問題にも対処できる人がいる。これも大変素晴らしい。
なんだかんだ不満も多く書きましたが、通ってた事業所にはお世話になっている部分も沢山あります。
とりあえず感想は以上。
これから事業所通いしてみる人はネットで下調べするか、最寄りのハロワ、区役所の福祉課などに相談し、ある程度どこの事業所が良いか目星を付けて「見学・体験に行く」とこから始めて下さい。
何故なら、事業所によってカラーが結構違ったりするからです。
私の通っていたとこは軽度の精神・発達障害が多数を占めており、また就労に特化した所でしたが、就労以前にまともな日常生活を送る練習から始める所もあります。
よくリサーチしてみて下さい。
今回はここまで。
最後に、発達障害界隈で著名なライター・宇樹義子氏が事業所に行った際の経験談をまとめたページも貼っておきますので、良ければ参考にして下さい。
「最近は事業所も色々増えてきている」
「一つ目が合わなかったとしても、諦めないで複数回ること」
「色々見て回るほど、自分に合ったとこに出会える確率は上がる」
これに関しては私自身も同意見です。でもそれって事業所だけじゃなくて、職場とかも全部そうだよな。
正直めんどくさいよね。つくづく居場所探しに難航する時代だと感じます。
おしまい
■ 精神病院行きになった話
ご無沙汰しております。
あっという間に2019年も4月になってしまいましたね。
皆さま如何お過ごしでしょうか。
突然ですがこの度は私、精神病院へ行くことになりました。
街角にあるクリニックとか心療内科ではありません。
ガッチャン部屋(監禁室)とかがありそうなマジモンのとこです。
入院、外来、デイケア。
どれになるかはまだ未定ですが、多分デイケアとして通うことになりそうです。
どうしてこんなことになったのか、自分でも戸惑いを覚えます。
子供の頃は、学生の頃は、社会に出る前は、まさか自分にこんな未来が待ち受けてるとは思ってもいませんでした。
二年前に緑色のお手帳が発行された際は「いよいよ来るとこまで来たな」と思ったものでしたが、まだまだ甘かったです。
でも私は未遂も含め自殺行為等はしていない。
当然、犯罪に走るようなことも。
薬物乱用とかアル中にもなっていない。
私的にはもうこれだけで100点満点です。
そうとでも思わないとやってらんねです。
も少しちゃんと経緯を説明すると、
『発狂して深夜に叫んで公園を走り周った』のような類の話でもありません。
そんな状態だったら、ブログなんてまともに書いてないでしょう。
一切を暴露してしまいたいのですが、私は「今回ここで起こりえたことは一切口外してはいけない」と言った書類にサインをしてしまいました。
こん位のことは書けるけど、それが限度です。
病院はデイケア通院になると思うので、たまには更新したいと思います。が、もしブログの更新もSNSも何もかもがピタッと止まったら、その時は察して下さい。
最後に。
私が去年まで通ってた就労移行支援事業所では、事故で車椅子生活を余儀なくされた女性の訓練生がいました。
曰く元アル中で、酔っぱらって線路の上で寝ているとき電車に轢かれてそうなってしまったと。
彼女は真夏でも長袖の服を着ていました。
服の袖からは事故の後遺症と思われる凄惨な傷跡があるのが見えました。
彼女はよく、
「生きてるだけで儲けもんだよ」
と笑いながら言っていました。(あと「xRにはちゃんと賠償金払ったし。笑」とか)
生きてるだけで儲けもん。
なんてたくましいのでしょうか。
私もそれくらい達観して、自分の人生を振り返られる日が来るといいのですが。
願わくば、これからの病院生活が充実したものでありますように。
良きお医者さんやデイケアのスタッフ、ご利用者さんと巡り合うことができますように。
おしまい